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私の価値観をぶち壊してくれた彼

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こんにちは。

 

このブログも100記事に近づき、新しいことに挑戦してみたいと考えていたところだったので、はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」のお題で書いてみることにしました。

*いつもと気持ちを切り替えたかったので、今回は文体を変えています。

 

 

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タイムスリップ

2021年7月23日、東京オリンピックが1年遅れで開幕した。私自身反対の意がなかったわけではないが、夫は当然のごとくテレビを点け、開会式を観始めたので、気付けば、一人二人と家族が集まり、家族全員での鑑賞会となっていた。

 

私はその光景を観ながら、ふと21年前のことを思い出した。

 

 

シドニーオリンピック

2000年9月15日、シドニーオリンピックの開会式が行われていたのだ。

 

それまで、あまりオリンピックの開会式など興味を持って観たことがなかったのだが、その日が違った。

 

当時、意中の男性に

 

「自宅で一緒に観よう!」

 

と誘われていたのだ。

 

嬉しくて、嬉しくて、親には内緒で彼の家に出掛けた。当時の私は25歳。もうすでに大人で、世間的には誰の家に行こうが、泊まろうが自分の判断でできる年齢のはずだが、かなり奥手で恋愛経験の乏しい私は、正直に言えなかった。当然、親にもその手の免疫がなく、大騒ぎになりそうな予感がしたので、嘘をついた…。

 

「会社の先輩のうちにお呼ばれしている。他の課員の女性陣も一緒だ。」

 

と。

 

そう、私は箱入り娘ならぬ、段ボール入り娘だった。(家がお金持ちだったわけではないので桐の箱ではなく段ボール…。)

 

 

秋の夜風

彼のうちは、東京の郊外にあった。

 

郊外だけあって、広さはあるのだが、乱雑に置かれた物ものモノで少し圧迫感があり、ちょっと薄暗く、至るところ最新家電の配線だらけだった。

 

そんな部屋でも私の胸は高鳴っていた。彼が私を受け入れてくれたんだ!そう思うと嬉しくてたまらなかった。通しで開会式を観たいという彼の希望により、早い時間に夕飯を食べた。

 

チンするご飯と納豆、高菜漬けそれだけ

 

ダイエットに励んでいる彼の日常の食事だ。食べるのが大好きな私にとって、普段、このメニューを出されたら不満たらたらだろうが、大好きな彼と一緒なら、何を食べても美味しかった。

 

 

いよいよシドニーオリンピックの開会式が始まり、真剣に画面を観入る彼を横目に見ながら、私も興味があるフリをして観ていた。正直、20年経った今となっては何一つ演出を覚えていないのだが(ごめんなさいシドニーオリンピック関係者様)、何となく覚えているのは、各国に煌びやかな衣装での行進くらいだったか。

 

夏が終わり、窓を開けていると風が涼しく気持ちが良かったことだけは覚えている。

 

 

開会式が終わるに近づいて、家に帰ろうか帰らまいか迷いが出てきた。意を決して彼に聞いてみると、

 

「自分で考えたらいいよ。」

 

明言を避けられた。私の心はもう決まっており、すぐさま母に電話をした。

 

「先輩の家でここままワインを飲んでいくことになったから、泊まらせてもらうことにするね。」

 

母は私の言葉を信じ、すんなり承諾してくれた。

 

 

衝撃の言葉

そんな一連のやり取りを見ていたのからか…彼からふいに、

 

「俺、結婚式とか興味ないんだよね。特別子供が欲しいとも思わないし。」

 

私は圧をかけたつもりはなかったのだが、彼からしたらそう見えていたのかもしれない。私と付き合うつもりなら、その先に結婚を考えてねと。更に彼は続けた。

 

「今の時代、女性だからって家庭に入る必要なんてないと思うんだ。互いに仕事を持つべきで、お金の管理も別々で、買いたいものを買えばいいし、時間が合ったときにだけ出掛けたり、旅行に行ったりするばいい。」

 

今となっては普通の感覚かもしれないが、当時の私はガーンと頭を殴られたような感覚を持った。

 

 

価値観をぶっこわされた瞬間だった。

 

 

それまでの私は、幼少期から夢など持ったこともなかった。大学までは行くものだと思っていたが、それは将来の職業を見据えてではなく、義務教育の延長のような感じで、卒業後はすぐに結婚し、専業主婦になり、子供に恵まれて、家事と育児をする。そんな人生しか想像してこなかったのだ。夢を持つ?何それ?意味ある?

 

花嫁さんになる!

 

これだけよと思っていた。両親の元を巣立ったら、夫なる人に生活を支えてもらうことが当たり前だと思っていた。

 

 

必死な日々

それからの私は必死だった。彼の理想に追いつきたくて…。

 

今の仕事は結婚までの腰掛のつもりだった(実際は、事務職とは名ばかりの半営業職が辛過ぎて、結婚を理由に逃げ出したかったというのが本音)ので、何かしらやりたい仕事を見つけないと。焦った。

 

うんうん考え、ひねり出したのが「法務翻訳」だった。一見複雑で難解な文章に思えるが、法律文章はパターンが理解できれば、翻訳は比較的簡単だ。私の得意分野で、パターンを読み、一定の法則に基づいて訳していく。

 

これなら続けられる!

 

そう思い、通信教育で勉強を始めた。

 

 

更に彼の理想に合わせるために、髪をショートにし、履いたこともなかったデニムを足を通し、登山やらハイキングに行き、ママチャリではなく前傾姿勢で乗るマウンテンバイクに乗り替えた。

 

彼に会えない平日は、フルタイムの仕事の後(残業ももちろんあり)、夜中まで法務翻訳の勉強をした。目指すところは、特許事務所への転職だった。

 

とにかく必死だった。

 

ただただ、大好きな彼に認めて欲しかったのだ。既存の価値観をぶち壊し、新しい価値観を常に見せてくれる彼に。

 

 

別れのとき

そのときはジリジリと近づいてきていた。

 

季節が一つ変わり寒さが厳しくなるころ、彼に懇願し、両親に会ってもらった。なのに、徐々に彼は仕事を理由に会う頻度が少なくなっていき、電話やメールの回数も減っていった。

 

そして…出会って半年ほど経ち、珍しく長文のメールがやってきた。

 

 

○○(私の名前)は、普通に幸せになった方が良い。

俺たちは価値観が違い過ぎる。無理に合わせなくて良いんだよ。

分かってくれるやつと結婚して、家庭を築いて、幸せになるべきだ。

 

 

と。

 

とにかく、悲しくて、悔しくて、情けなくて泣けた。泣いて泣いて泣いた。その後、彼に連絡しても一切電話にも出てくれないし、メールの返信もこなかった。何度送っても返信がくることはなかった。

 

そのころ通信教育を一通り終え、転職に向けての新たな履歴書まで用意していたが、それを一度も出すことはなかった。

 

 

新たな出会い

彼から突然の別れを宣言されてから、ただ一人で彷徨っていた。

 

私はこんなにも彼のことが好きなのになぜ振られたのか?

何が悪かったのだろう?

圧倒的に大人な彼の手のひらの上で私はただただ転がされていただけなのか?

 

一人問答を続けては、彼との日々を思い出し、泣いてを繰り返していた。そうやって、少しずつ心を整理していくしかなかったのだ。

 

それから数年間は、夏が終わり秋の夜風を感じるたびに、あの日のこと、そして、彼のことを思い出していた。それほど私にとってはインパクトの強い人だったのだ。

 

今、どこで何をしているのだろう?

 

 

更に時が経ち、今の夫と出会った。まさに互いのタイミングが合ったというのはこういうことを言うのねという感じで、とんとん拍子で結婚となった。

 

そしてそれは…私が幼少期の頃から思い描いていた通りの結婚そのもだった。

 

ごく普通に結婚式を挙げ、それぞれの親族、友人、会社の同僚にお祝いされ、結婚を機に仕事も辞め(そもそも夫の仕事の都合で東京を離れることになっていたので物理的に続けるのが無理だったのだが…)、専業主婦となり、すぐに子宝にも恵まれた。

 

そんな幸せのときの中で、ふとある思いがよぎった。

 

結局私の価値観は、彼によりぶち壊されていなかったのか?

あのときの私は、自分の気持ちを押し込めて、彼に無理して合わせようとしていただけ?

幼少期から植え付けられた価値観はそうそう変わらないのか?

やはり、彼の見立て通りだった?

 

いやいや、それはNOだ!

 

 

変化した結婚観

かつての私は、結婚したら自分をなくし、夫を立て、家事と子育てに自分の全ての時間を充てるのが正しい生き方だと思っていた。夫を蔭で支える妻と言いながら、結局、夫なる男性におんぶに抱っこで丸抱えしてもらい、全ての判断を夫に委ねる。そんな生き方を理想としていた。

 

それは違うと思うことができたのだ。

 

 

私たち夫婦は、役割を分担しているにすぎない。

 

夫は外でお金を稼ぐことに専念し、私は家のことを全てコントロールする。どちらが上でも下でもない。互いに補い合って生きている。

 

 

もちろん、夫が結婚前に言ってくれたことの影響は大きい。

 

「俺が稼いだお金は、夫婦のお金。だから、気兼ねなく使ってくれて良い。」

 

 

だから、夫が外で働いている時間でも、録画したドラマも観るし、ネットサーフィンもするし、習い事にも行くし、やりたい勉強もする。

 

私は、誰よりも早く起きてお弁当を作り、朝食の用意をし、家族全員をそれぞれの時間に合わせて順に起こしているし、どんなに遅く夫が帰ってきても、必ず起きていて夜ご飯の用意し、片付けまで済ませてから就寝する。自分の仕事はきっちりしているのだから。

 

堂々と昼寝もする。

 

 

結婚しても、私の人生は私のものだ。

 

親の期待に応えるような人生を送る必要もないし、夫と子供のために自分を無にする必要もない。夫の人生、子供たちそれぞれの人生がある。サポートはするけれど、その時々で選択し、決断するのはそれぞれ本人たちだ。

 

だから、私も私の人生を生きる。

 

そう思えたのだ。

 

 

言うまでもなく、夫と出会ったからこその今の生活があるのだから、感謝している。でも、きっと私の経験全てが今の私と繋がっている。今の考えがある。

 

だから、彼の影響は大きい。

 

20代で価値観を一度ぶち壊してくれた彼にもまた感謝しかない。

 

 

とはいえ、きっとあのときに早まって彼と結婚していたら…うまくいかなかっただろうが…。破綻していた予感しかない。

 

私が幼過ぎた。

 

今ならはっきり分かる。

私から離れていった彼の気持ちも分かる。

 

 

晴耕雨読

彼と付き合っていた当時、良く聞かされた言葉があった。

 

晴耕雨読

(晴れた日は田を耕し、雨の日は読書をする。)

 

若いころに一気に働いてお金を貯め、早期リタイアをして、この生活を目指したいと。

 

その後どうなったかな?今50代に突入した彼は、晴耕雨読な生活を手に入れているのだろうか?

 

 

ふと横を見ると、子供たちがキラキラした目で東京オリンピックの開会式を観ている。はしゃいでいる夫もいる。ふふっ幸せだ。

 

この幸せは、あの日に繋がっている。

 

 

2000年9月15日、これが「私の記憶に残っている、あの日」だ。

 

 

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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