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5浪した従兄の笑顔

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こんにちは。竹みかです。

 

 

以前のブログで、娘の通ってい学校では、よほどのことがない限り浪人はお勧めしないと言われている、とお伝えしたかと思います。

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実際に世間的に、浪人をしても

 

成績が上がるのは全体の1/3

現役時の成績が維持できるのが1/3

現役時より成績を落としてしまうのが1/3

 

なんて厳しい言い方をされる専門家の方もいらっしゃいます。

 

基礎ができていて、更に、志望校に的を絞った勉強もほぼできていていて、あと一歩足りずに涙を飲んだ子だけが浪人して合格を手に入れられていれられるとか。

 

そうはいって、本人が納得していなければ、妥協してしまったという心残りがあり、せっかく入学した大学生活を楽しめなかったり、劣等感を感じみじめに思ってしまったり、ときに大学を辞めてしまったり、仮面浪人になってしまったりすることもありますよね。

もちろん大学を中退したり、仮面浪人することも、その人の長い人生を考えれば、悪いことばかりではないと思いますけどね。

 

それならば、本人が納得できるまで浪人させてやるのもありなのでは思います。

とはいえ、それからの人生を考えれば(特に就活)、1浪、多くても2浪が限界かもしれませんが。

 

私の従兄は、何と5浪もしてしまいました。

親類全員、あいつは何を考えているのか???と心配を通り越して、あきれ顔だったのですが、それから四半世紀以上のときが経ち、現在の彼は……

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昔からちょっと変わった従兄だった

従兄は、私より少し年上でもう50歳を過ぎています。

 

久々にその従兄に会った母は、とてもいい顔になっていたと言うのです。

高齢でずっと体調を崩していた叔父(従兄にとっては実父)の葬儀で、本当に久々、数十年ぶりに再会したそうなのですが……

 

かつてはかなり変わった性格のいとこのお兄ちゃんでした。

体形はひょろひょろ~として、ふいにヌーと現れては不思議なことをぼそぼそしゃべって去っていくような。

陽気で社交的な長男とは、まったく正反対のような人だったのです。

 

周りの親族からも、あいつは変わってるし、結婚など到底無理だろうと言われていたそうです。

どっぷり昭和時代の話ですので、かなり辛辣なことを言っていますね。

 

 

そんな従兄の希望は

ちょっと変わった性格の従兄ではありましたが、勉強は好きだったようで、将来は宇宙関連の仕事に就きたいと西の帝大を目指していました。

努力の甲斐なく、現役でも一浪でもそちらにご縁がなく、東京のとある私大に入学しました。

ここまではよくあるパターンですね。


その大学自体は、きちんと勉強をさせる理系大学として有名で、そのため就職も、今も昔もよかったようなのですが、従兄は、

入ってみたら、自分の希望と全然違っていた!

 

と言い放つて半年ほどで退学し、再び浪人生活へ突入してしまったのです。

 

 

ここからは意地なのか何のか、もう本人にしかわからないところですが、結局、5浪となってしまいました。

そして、ここまで粘りに粘ったにも関わらず、憧れの大学にはご縁をいただけなかったのです……

 

当時、元気だった叔父は、

 

あいつは勉強が本当に好きなんだな。

 

と周りに自嘲気味に言い、いつも諦め顔でしたが、決して本人を問い詰めたり、親の意向を押しつけたりはしていなかったようなのです

社交的な長男が家業を無事継いでくれたということもあったのでしょうけどね。


なぜ、そこまで意固地な従兄が、5浪というタイミングで決断をしたかはわかりませんが、長い浪人生活の末、とある国立大学(宇宙とは全く関係のない学部学科)へと進学しました。

従兄自身の意思で。

 
 

大学生活は順調に

その後は順調に大学を4年で卒業し、(宇宙関連ではありませんが理系だったので)そのまま院に行き、修士で卒業し、その土地にあるIT関連の企業に就職しました。
5浪ということもあってか?そのあたりはわかりませんが、名の知れた大手企業ではありません。


昔から従兄の性格をよく知る周囲の親類(私も含め)は、てっきり研究者の道に進むと思いきや、民間企業へ就職を決めたので、ざわついていました。
これまた本人の決めたことだったのです。
 


それから30代半ばで、いい人と出会い、めでたく結婚もしました。
これまた周囲は、
 

あの変わった子が???

 
と一堂驚きが隠せなかったそうです。
またまた失礼発言。
 
 

そして現在、笑顔になっていた

それから長き月日が経ち現在です。


その葬儀のおり、淡々としている母を尻目に、私の父が遠慮なくその従兄(父からすると甥っ子)に、
 

なぜ、東京の私大は辞めたのか?

今、仕事は何をしてるんだ?


とずかずか聞いたようなのです。


そんな不躾な質問にも、従兄は穏やかに、

 

今も同じIT企業で働いていて、充実している。

 
と答えたとか。
 
 
そして、

 

その土地に進学し就職したからこそ、今の奥さんと出逢えた!

 
と、とてもよい笑顔で語っていたそうなのです。
 
 

最後に

その人が幸せかどうかなんて、他人が決めることではありませんよね。
他人の物差しも価値観も関係ない!本人が納得していること一番大切なんだと、その一連の話を母から聞いて、改めて感じました。


叔父と叔母は諦め顔をしながらも、決して自分達の価値観を押しつけることなく、世間に忖度することなく、すべて本人に決断させたのです
私にそれができるだろうか。


当時、周りの親族は、
 

いつまで何をさせてるんだ!

 
と、直接、叔父や叔母に忠告した人もいましたし、そうでなくても冷ややかな目で見ていました。
 
 
四半世紀以上経った今となっては、叔父叔母の対応は正解だったのではと思うのです。



詳しくは書きませんが、別のいとこ(私と同い年の男の子)は……

親の強い誘導で大学も就職も決められ、40半ばの今も何かあるとたびに激しく叔母(いとこの母親)を罵っています。
お金も叔母がかなり援助しています。

いつまでも蟻地獄のようで、死んでも死にきれないと叔母は嘆いています。
このいとこも叔母のことも本当によく知っていて、赤ちゃんのころからいくどとなく一緒に遊んでいたので、今、母経由で話を聞くたびに胸が張り裂けそうなります。


 
母として、子にできる限り失敗をして欲しくないと願うものです。

でも、踏み込みすぎてはいけないというか、口を出しすぎてはいけないのかもしれませんね。
一番大切にすべきことは、本人が納得していることであって。
 
彼らには彼らなりの考えがあり、それをねじ曲げてまで親の価値観を押しつけたり、世間を気にして見栄張りの道具にしたりするなんてもっての他ですよね。
 
 
もちろん、多浪が就活で不利なることは事実なので、あまりお勧めできることではありませんが。
それを無理に回避させて本人が納得していない人生を送らせるくらいなら、どんなに回り道をしても、本人が納得して幸せであると感じられる人生を送らせてやることの方がよいのかもしれませんね。
 
 
 
少なくとも選択権は子になければならない。
 
 
この従兄の話を聞いて、しみじみとそう感じました。
 
 
 


本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 

 

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