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極力口出しせずに【息子の中学受験】を見守った結果

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※本ページには、プロモーションが含まれています。

 

こんにちは。竹みかです。

 

 

お久しぶりです。

年明けから怒濤の日々でした。

ようやく、娘の国公立大学前期試験が終わり、結果はともあれ一息ついたところです。

 

 

今回は、一足先に結果が出て行き先が決まった息子の話をしたいと思います。

 

1月に検査(公立中高一貫校は試験ではなく検査といいます)を受け、2月初旬に発表がありました。

息子、ななんと合格でした!!!

塾の担任の先生も、直前まで五分五分だと思われていたらしく、大興奮でお電話いただたくらいです。(笑)

 

息子は、私に似て地頭は決してよくありませんが、素直で真面目な性格が導いた結果かなと考えています。

なぜそのように考えたのか、息子の特性や性格、成長具合などとからめてお話しできたらと思っています。

 

 

早生まれな上に、特に幼少期は年齢相応の成長過程から比べても遅めで、聴覚過敏もあり、多動や注意力欠乏も激しく、こだわりも強くて、空気もまったく読めない発達グレーの子でした。

(検査はしていません。)

そのようなお子さんを持ち、迷われている親御さんに一つのサンプル例として、参考にしていただけたら幸いです。

 

 

 

過去のブログから息子の成長過程をご紹介

<幼稚園入園前から問題が山積していた>

出産予定日よりちょっとだけ早く、3月末に生まれた息子。

早生まれ云々以前に、言葉の発達が異常に遅く(3歳過ぎまでまともにコミュニケーションが取れませんでした)、そのせいかトイレトレーニングもまったく進まない状況だったのです。

 

2歳過ぎで参加したプレ幼稚園でも、本当にまったくといって良いほど周りの子や先生と関われず、いつもポツンと離れたところにいたのを記憶しています。

私が専業主婦ということもあり、赤ちゃんのころから保育園に入れて集団生活に慣れさせることができなかったため、ことあるごとに児童館や公園には連れて行っていたのですけれどね。

 

聴覚過敏がある息子は、児童館の入口で大泣きして抵抗し中に入れませんでした。

何度試して諦めたことか……

 

ショッピングモールですら騒音が苦痛なのか長居できず。

屋外の遊園地ですら嫌がって、いつも誰もいないような静な場所にポツンと親子でいました。

まともに遊べたのは、開放的で敷地が広く人がまばらな公園くらいでした。

 

問題が山積み状態で。

本気で、幼稚園の入園直前まで1年入れるのを遅らせようかと迷ったくらいです。

 

 

いざ年少からに入園させてみたものの、大きな赤ちゃんが一人いるという状態でした。

保育参観でも、親子遠足でも、園児と保護者は離される場面なのに、私たち親子だけは一緒にいてよいという暗黙の了解があったくらいで。

心折れそうになりながら(途中退園しないといけないか、年中まで家庭保育に戻すか迷いながら)、お友だちやそのママたち、担任の先生、補助の先生方の支援をいただき、1年を乗り切り、2年目も何とか乗り切れたのです。

 

 

 

<ようやく幼稚園年長で成長が見られるようになった>

年長になってもまだ、明らかに同級生に比べて成長は遅れていたものの、少しずつ皆の後ろを追いかけていくように成長と変化が見られてきました

言葉が急激に発達し、おしゃべりさんになったのもこのころですね。

 

ただ、空気がまったく読めないので、よく先生の進行を止め、関係ない話を大声で話してしまうなんて場面もありました。

一方で、少しずつ先生の指示が入るようになり、勝手な立ち歩きも減っていきました。

やはり、卒園まで劣等感はぬぐいきれず、何かと謝ってばかりでしたけどね。

 

 

 

<小1は地獄だった>

小学校入学後も困難は続き、小1はまさに地獄でした。

幼稚園は少人数で風通しがよく、先生もベテランぞろいで手厚いフォローがあり、早生まれで発達がのんびりな息子でも、そのペースに合わせて、温かく見守り成長を促してもらえました。

 

 

ちなみに、こんな成長具合だったこともあり、早期教育をほどこしても意味がないだろう(単に苦痛を与えるだけ)と思い、積極的には何もしていませんでした。

*幼稚園自体も早期教育には否定的で、本人の興味がわくまで待つという姿勢だったのも影響しています。

 

ただし、園と家で絵本の読み聞かせをすることで、自然に文字に触れさせていましたし、ことあるごとに物を並べてその数をみんなで数え合ったり、列に並んで順番を言ったりすることで、数字の概念だけ頭に入っていたようでした。

 

というわけで、息子の小学校入学時は、

 

・平仮名、片仮名は全部読める。

・ごく簡単な漢字は読める。

・自分の名前を平仮名で書ける。

・数を20くらいまでは数えられる。

・椅子に一定時間座っていられる。

・先生の話を聞いて、ある程度指示通り動けるかなというくらい。

(基本、周りをきょろきょろ見ながら、ワンテンポ遅れて動く感じでしたけどね。)

・先生からの伝達事項を親に伝えられる。

(この点は、幼稚園のご指導のたまもので、ありがたかったです。)

 

この程度の状態でした。

 

 

恐らく、早生まれ云々以前に、小学校の大人数にびっくりし、更に、今まで出会ったことのないようなグイグイ踏み込んでくる子たちに驚いたというのが、息子にとってはカルチャーショックだったようですね。

年長時の担任の先生が心配されていた通り(私も)、のんびり温室育ちだった息子は、いじめのターゲットにされました。

 

しかも、先生の見ていないところでやるずる賢さ。

先生にそれとなく訴えましたが、口先だけで何もしてもらえませんでした。

 

対人関係だけではなく、(国語や生活といった教科は問題ありませんでしたが)算数につまずきました

足し算、引き算の概念はわかるけれど、ある程度暗記してスピードアップをはからないといけないのに暗記ができない……

集中力も持たなかったのです。

 

 

 

<小2になって対人関係も学習能力も変化していった>

本人の成長が追いついたのか、公文の反復学習(小1の5月に入会)のおかげだったのか今となってはわかりませんが。

小1の終わりくらいから小2にかけて、徐々に学校の勉強に追いつき、次第に余裕をもって算数も取り組めるようになっていきました。

 

小1のときの通知表は散々(こんなにひどい評定を小1につけるんだ(驚)と思うほど)でしたが、小2からはぐっと上がりました。

小2の時計の学習には、かなり時間を要しましたが、これが最後の山場だったのかなと思っています。

不思議と九九はすんなり覚えられました。

 

このあたりで、早生まれの息子と遅生まれの同級生との最大1年の誤差が補正されていった瞬間だったかなと思っています。

息子自身が小1の1年間苦しんで処世術を学んだこと、そして、新型コロナの流行が追い風となり(密を避けるルール)、いじめもまた、小2になったころからなくなっていったようです。

 

ただ、まだまだ場の空気が読めない失言は多かったようで。

担任の先生が大ベテランの方だったので、笑っておっしゃっていました。

 

「悪気がないのはわかるけれど、確かに正直すぎる発言(要は失言です)がありますね。」

と。

 

 

息子が自己肯定感を上げ変わるきっかけとなった造形教室の話も書いています。

mamatomo-zero.com

 

 

小3以降の息子の様子

小3以降も、目立った対人関係や勉強面での困りごとはなくなっていましたが、相変わらず独特のこだわり行動は続いていました。

 

・同じアニメのビデオを何十回でも何百回でも観る。

・どこへ行っても無料のカタログやチラシをもらってきてしまう。

・物を捨てられない。

(どんどんゴミ(本人にとっては宝物)がたまっていくし、あれこれ言い聞かせ、箱や本棚を買ったりと工夫をしてみても、片付けも整理もできない。)

 

一緒に生活をする家族にとっては大迷惑のオンプレートでしたね。

 

一方、学校生活はだいぶ落ち着き、少しずつ周りの空気を読み、失言も減っていったようです。

たまに嫌みを言ってくる同級生はいたようですけれどね。

そしてなぜか、その独得のこだわりが担任の先生に受け?面白いと興味をもっていただく機会も増えました。

 

 

息子の困りごとがなくなったというのも、親が取り立てて何をしたというわけではなく、自然に本人が成長しただけです。

(療育等も一切受けていません。)

 

 

このくらいから、放課後はひとり遊び(なじみのビデオを観たり、工作をしたり)を一通りして、学校生活(集団生活)でのストレスや気持ちのざわつきが収まったら、私に何も言われなくても、毎日同じ時間に学校の宿題や公文のプリントに取りかかる習慣がついていました。

元来、真面目な性格の子です。

 

まあ~集中力が続かないので、ダラダラ脱線しながらやっていましたけれどね。

あまりにもその様子がひどいときは注意していましたが、基本は本人任せです。

 

もちろん、毎日、宿題の内容を連絡帳で確認し、丸付けは私が担当していました。

返却されたテスト結果も冷静見て(点数に対して怒ったりはしない)、ミスキング具合や内容の理解度も確認していました。

 

結局、こだわりの強すぎる息子は、私たち親が何を言おうとも、強制させても無意味だと痛感させられていたので。

(注意されても、その注意してきた相手が怒っていることだけで恐怖になり、思考が停止してしまい、彼にまったく浸透しない。むしろ、誤認識を与えてしまう。)

いつの日か、彼の成長を待つことが基本となっていました。

 

もちろん、普通はこの年齢ならこのくらいできるでしょ!と何度か思ったかわかりません。

思わず怒ってしまい後悔したこともいくどもあります。

 

何度も迷い悩みました。

悩みきって諦めたらころに、ふとできている、成長している(驚)ということが何度もあったため、

 

・余計な口出しも手も出さない。

・誰とも比べない。

・放置ではなく、基本見守る。

 

という姿勢がスタンダードになっただけなのですけどね。

 

 

ちなみに、小学校では一切ママ友はつくりませんでしたが、不便はまったくなかったですよ。

学校行事をすべて参加すれば、先生に自然と顔都名前を覚えていただけます。

誰にも邪魔されずに、クラスや学年の様子を確認でき、年2回の面談では先生と密にお話しできましたしね。

 

 

中学受験を決めた理由

私としては、息子の中学受験はマストではありませんでした。

夫も、小4の時点で能力的に無理だろうとと思っていたらしく、むしろ反対していたくらいです。

 

ついでに、何度かこのブログでも触れていますが。

娘の同級生(娘は息子が受検した公立中高一貫校の在学生です)を見てみると、学校の雰囲気に合わない、また、周りの子と比べて自信を喪失してやる気を失い、自主退学に追い込まれた、もしくは、不登校から辞めていく子も複数いました。

 

もしかしたら、別の高校なら指定校推薦が取れて、もう少し優位に大学受験を進められたのではと思われる子もいました。

逆に、中学受験で不合格になったからこそ、地元の中学に行って高校受験でリベンジし、大学受験で大成功を納められたという子の話も耳にしたことがあります。

 

 

成長がゆっくりめな息子は、高校受験まで待った方がいいのではという思いが過っていたのです。

 

 

息子の意思は固く、中学受験を経て、姉と同じ学校に行きたい!と。

やはり、小1のころにいじめられていたことがあり、この小学校から抜け出したいという強い思いがあったようです。

この点は何度も言っていましたね。

 

というわけで、親としては色々不安がありましたが、息子の意思を尊重して中学受験をすることとなったのです。

同時に、私立中学は受けない、姉の通っている公立中高一貫校だけ受けて、もし落ちたなら、地元の中学に進むという約束でした。

 

 

受験期の勉強は本人に一任

その約束を息子も受け入れ、小4の3月に体験授業を受け、春期講習から中学受験専門塾に入りました。

大手ではなく、地元密着型のところです。

 

 

娘のときは、夫も乗り気だったので、塾の送り迎えはもちろんのこと、勉強も見ていました。

(夫は、東京でのバリバリ中学受験経験者です。)

私は、宿題の進捗状況を確認し、過去問を解く時期と回数を管理し、作文の添削などもしていました。

 

 

息子のときもまた、小5の最初だけは、「何をやったの?わからないことろない?」などの声かけと、授業内容の確認はしていたのですが……

なんせ、中学受験の経験のない私には大した概説もできず、これは役不足だなと痛感。

余計な口出しをして混乱させてもね。

 

夫も、「俺が教えても、どうせ聞く耳持たないでしょ。だから、今回はノータッチでいくよ。」と言われていたので頼れず。

結果的に、完全塾任せとなったのです。

 

 

恐らくこれが、息子には合っていたのだと思います。

私たち夫婦が2年間でやったのは、

 

・塾のスケジュール管理と送り迎え。

・塾主催の説明会への出席。

・担任の先生との面談。

・長期休暇ごとの季節講習の選定と申込みと支払い。

 

まさにこれだけ。

宿題の管理、授業の復習、過去問を解くタイミングや回数の管理は、すべて息子本人に任せました。

 

 

ことあるごとに、希望する中学に受かっても、受からなくても、どちらにも素敵な人生が待っているから大丈夫!とだけは伝えていましたね。

実際に娘を通して6年近く見てきたのですから、その言葉には実感がこもっていると息子にもわかっていたのだと思います。

 

こんなにも高い塾代を払っているのだから、受からなきゃ無駄になるよ!(怒)なんて口が裂けても言いませんでしたよ。

絶対、NGワードですからね。

 

 

息子は元来、素直で真面目な子なので、塾の先生の言うことをしっかり聞き入れ、勉強に取り組んでいました。

娘は、「そんな面倒なことやるわけないじゃん!」と言って聞き流していた、単語帳をつくったり、苦手な個所を小さなノートにまとめたり、間違えた問題を解き直して復習動画を何度も確認したり、といった地道な積み重ねもしていました。

自ら進んでね。

 

 

が、正直なところ……小6の夏までは合格率五分五分にすら届いていませんでした。

落ちる可能性の方が高いなあと。

 

都会の塾とは違い、あからさまに成績でクラスを分けるようなことはしません。

実情を知っている娘いわく、弟は塾から期待されていないクラスに入れられているなと感じていたようです。

教室の大きさや、割り充てられている先生でわかります。

 

初秋に受けた模試では、合格の可能性が50%程度。

算数問題だけ壊滅的にできていませんでした。

 

国語の読解や記述はできるし、理社の知識もマニアなのでしっかりあるので、それらで点数が上がっていただけ。

要の算数ができないと、かなり厳しい状況でした。

 

その模試結果を受け、先生のお勧めで問題集を購入して取り組みました。

(都会の中学受験だと基礎中の基礎の算数問題集です。)

恐らく、自分のウィークポイントを自覚し、より一層、授業で算数問題をやるときには真剣に取り組んだのだと思います。

 

不思議とこのあたりから、合格を期待されるクラスに入れてもらえるようになりました。

年末の本番前最後の模試では、驚異の点数をたたき出したのです!

 

もちろん、家族みんなで褒めまくりましたよ。

ただ、この力を本番で出せるのか?半信半疑だったのです。

 

 

中学受験を通して感じたこと

本人も、「希望する中学に行きたい!」という意思は見せても、「絶対受かるわ」といった強気発言は一度もなく。

落ちることばかり想定していたようです。

 

私たち見守る家族も、本人なりに考え頑張っている姿は見ていたので、希望が叶えばいいなとは思っていました。

それが本人にとってはベストな進路かどうかは最後まで自信が持てないままでした。

最後の模試こそは、結果がよかったですが、合格するに確実な力を持っているとは言いがたく、受かるかどうかも五分五分だなとも思っていましたしね。

 

 

いざ前日になると、息子にしては珍しく緊張をしていましたが、当日はさらりとしていて、特大弁当を持って出かけていき。

ケロッとした顔で帰ってきました。

とりあえず、無事、検査を終えられただけでホッとしていたようです。

 

 

結果は、合格!!!

 

 

これまた、いつの間にか成長していたなと実感させられる出来事でしたね。

大人から見て、この子には無理だなと思ったことでも、何度となくひっくり返して成長していく子なのですよね。

案外男の子は、そんなものなのかもしれません。

 

もちろん、出来杉くんもいますけれどね。

恐らく、夫はそのタイプかな?と思うので、息子と基本的に合わない……です。

 

 

ただ、(放置は論外ですか)見守るのって、口出し手出しする以上に忍耐がいりますよね。

これで本当にいいのか?と、常に迷いもありますしね。

 

息子にはこの見守りつつ待つという姿勢が正解だったようです。

すべての心配がなくなったわけではありませんが、今回の合格する過程を見て、今後もこの子の成長を信じてみようと思えました。

 

今後、どんなふうに成長してくのか楽しみにさえなってきました!

小学校低学年までは、あんなに不安だらけだったのにね。(笑)

 

 

最後に、無責任なことは言ってはいけないと承知の上ですが。

周りに比べて成長が遅いなと気になる、特に男の子の親御さんへ。

 

なんでこれくらいできないの?

普通はこのくらいできるはずだよね。

 

という概念は捨てて、是非、お子さんを信じて見守ってあげてください!

とお伝えしたいです。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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