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3年半ぶりに実家に帰省!顔を見なければ分からないこと…

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こんにちは。

 

大変ご無沙汰しております。8月中も週1くらいで更新したいと思っていたのですが…気付けば9月…なんてことよ。8月1日に更新して以来、1カ月以上放置していしまいました。

PV数は当然のことながらだだ落ちしてしまいましたが(当たり前)、なぜかGoogle AdSenceは最高益を叩き出すという謎。Google検索も50%に迫る勢いです。(そりゃ新しい記事をアップしてないからね)

 

その分、今年の夏は充実していたなと思います。

 

 

3年半ぶりに私の実家に帰省することもできました。子供たち二人を連れて。

 

そして、お盆はいつも通り家族4人で賑やかに過ごし。

 

夏休み後半は、娘の希望により、熱を上げているアイドルのコンサートにお供がてら1泊2日で仙台に家族旅行をしてきました。杜の都は美しかった。

東北大学の想像を遥かに超えた巨大さにも驚きました。どこまでもどこまでも続く。旧帝大恐るべし。

 

 

今回は実家帰省の話を中心にブログを綴りたいなと思っています。

 

このコロナ禍でも、毎週1回は母に電話をかけて1時間ほど話をし、様子を伺うようにはしていたのですが、電話だけでは分からない、実際に会ってみて感じたことがあったのです。

 

今夏、久々に実家に帰省されたという方も多くいらしたかと思います。

皆さんは何を感じられましたか?

本州の端っこ下関です。

 

 

 

3年半ぶりの帰省になったわけ

 

実は、コロナ禍前の3年前の夏に、実家に帰省をする予定でいました。が、台風に見舞われ、新幹線が運休になってしまうという事態が発生。

 

当時娘は中1で、部活やら塾の夏期講習や何やら予定が詰まっており、別日に移すことができず、帰省を断念した経緯がありました。そのときは、また来年帰省すれば良いよねと思っていたのですけどね。

この後まさかコロナが大蔓延し、誰しも身動きが取れなくなるなんて想像もしていませんでした。涙

 

私の実家(父の定年後に2人の故郷にUターンしています)は、我が家からかなりかなり遠く、ちょっと帰ってくるわ!ということができない場所なので、帰省するとなったら一大事です。大移動。

長時間の新幹線か飛行機での帰省しか選択肢がない。

 

ですので、娘や息子が赤ちゃんのときは、3週間程度帰っていましたし、ある程度大きくなってからも2週間程度は滞在していました。

 

 

というわけで、安易にコロナ禍で帰省することができず、気づけば3年半ぶりとなっていたのです。

 

 

 

母が想像以上に老け込んでいた…

 

今年娘は高1、もう1週間もの時間を取れるのは最後ではと思っていました。

7月上旬に新幹線のチケットを購入し、今か今かと帰省のときを待っていたのですが、そんなさなかコロナの第7波が到来。

 

母は76歳、父に至っては81歳です。

 

この老夫婦の元に、自分たちが行って良いものなのか直前まで迷いに迷いました。が、普段なら、

 

 

「やめとけ!」

 

 

という夫(かなりの慎重派です)が、今回だけは、

 

 

「もうこの機会を逃したら、今度いつ会えるか分からないから、帰省しておいた方が良い。」

 

 

と背中を押してくれたこと。そして、子どもたちも祖父母に会えるのをとっても楽しみにしてくれていたので、思い切って帰省することを決めました。

 

 

娘の高校の夏期補習が終わってから5日間、私たち3人は完全ひきこもり生活をし、帰省中も一切大都市圏では下車せず、寄り道せずに目的地まで行きました。

 

 

長旅の末、いつものように新幹線のホームで出迎えてくれた母。涙

 

毎週電話で話している限りは変わらずハリのある声で、老け込んだ様子は伺えなかったのですが…実際目の前にすると、

 

 

かなり老け込んでいました…。

 

 

ほとんど髪は白髪になり、腰も曲がって猫背になり、一回り小さくなっていたのです。

 

更に年齢のせいもありますが、コロナ禍で外出機会がめっきり減ってしまったためか、足腰が弱り、歩くも遅く、階段は手すりを持たないと降りれないようになっていました。

 

若かりしころの母は、この年代の女性にしては大きめの身長で、骨格もしっかりしており、よ~く働き、常に動き回っているような人だったのですけどね。

 

 

声だけでは分からないものです。

 

 

3年半ぶりに会った私はショックを受けながらも、それを表情に出してはいけないと、平然とした顔で話を続けていました。

 

 

 

 

父は変わっていなかった

 

ということは、父もめっきり老け込んでしまったかと心積もりをしていたのですが…。

 

在来線の電車を降り、手を振る父を見て、

 

 

あれっ、全然変わってない!?

 

 

「いや~頭が益々はげちゃって。」

 

 

なんて父は言っているものの、足腰はシャキッとしているし、昔と変わらずガンガン歩いていくし(全然周りと歩調を合わせることができず、どんどん一人で歩いていっちゃうような人でした)、重い荷物もひょいと持ってくれるし。

 

 

更に驚いたのが、食べる食べる。

 

 

実家についてから夕飯を一緒に食べたのですが、母は食が細くなってしまっていましたが、父は変わらずよく食べているのです。

 

 

そう、世間でいわれる老けない秘訣は、

 

食べること!

 

これに尽きるのだなと実感しました。

 

 

もちろん、元の性格もあります。父はかなりの能天気でくよくよしません。昔から好きなことを好きなようにする人でした。隔世遺伝で息子がそっくりな性格ですね。笑

今の時代なら全然OKだと思いますが、昭和サラリーマン戦士の時代には全くマッチしな人でしたけど…。

 

その点、母はよく気付く人で、かなり心配性で神経質なたちでもあります。

 

 

父は、昼間好きに過ごし(老人なのでそれでOKですが)、夜9時には寝てしまいます。

これも昔から変わらず。

 

 

そりゃ老けないよね。

 

 

 

外出を恐れる母

 

帰省して両親の様子を目の当たりにすると、改めコロナの影響は深刻だなと思ってしまいました。

 

外に出る=コロナになる=命に関わる

 

 

と心配性の母は、この3年で脳に刷り込まれてしまったようで、近所のスーパーとごくごく身内に会うことと、通院以外はほとんど外出できていなかったことが判明したのです。

私は電話で何を話していたのだろうと反省…。

 

父は構わず、図書館だの趣味の集まりだのと行っていたようですけどね。

ここでも性格の違いが。

 

 

私たち若い世代は、最初こそは恐れて外出を控えてしましたが、段々とこのくらいなら大丈夫だろうと徐々に活動範囲を広げていき(ある意味開き直って)、withコロナ生活も慣れてしまいましたが、そうはいかない世代がいるという現実を突きつけられた気がしました。

 

 

ちなみに両親ともに深刻な持病はなく、ワクチン接種も3回受けています。

 

 

それでも気持ちがついていかないのですよね。一度ついた恐怖心はなかなかぬぐえない。

 

 

とはいえ、孫たちを暇にさせてはいけないと。

 

近所の海に連れていってくれたり、

泳ぐのが禁止の場所なので誰もいない…。シーグラスと貝殻をたくさん拾いました♪

 

水族館に連れていってくれたり、

平日の朝一に行きました。ミズクラゲきれい~。

 

対岸までのフェリーに乗ったり(もちろん朝一)、門司港の鉄道記念館に連れて行ってくれたりと、至れり尽くせりでしてくれました。

感謝感謝です。

 

 

 

 

何より実家で毎晩、母の作ってくれたご飯を食べ、一緒にお酒を飲み、ゆっくり両親と話をすることができ、母でもなく、妻でもなく、娘に戻ることができ、幸せな幸せな時間でした。

 

 

やっぱり、帰省して良かった。ただ、

 

 

改めて、コロナの罪を感じましたし、

外出できないと益々老人は足腰が弱るよ!

 

改めて、老いについて考えさせられました。

くよくよせず、食べることが一番ですね。

 

そして、親の愛を感じることができました。

そもそもこのご時世、私たちを受け入れることにも葛藤があったでしょうし、外出も怖かったでしょう。それでも何も言わずに受け止めてくれました。

 

 

両親それぞれに心配事がなくはないですが、この年齢まで大きな病気もなく、認知症の傾向もなく、元気でいてくれいる姿を直接見ることができて、安心したのも事実です。

 

 

電話だけでは分からない。

顔を見なければ分からないこともありますね。

 

 

そんなことを実感した、3年半ぶりに帰省でした。

 

娘の大学受験が終わったら、また帰省できるかな。そのときは、コロナが落ち着いていることを願うばかりです。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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