こんにちは。
ママ友ゼロ母です。
今日は、赤ちゃんの夜泣きと同じくらい、日本中のママを悩ませている授乳問題についてお話さえていただけたらと思います。
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ちょっとネットをのぞけば、完母(完全母乳)、完ミ(ミルク)、混合(母乳とミルクの混合)について賛否両論あり、意見も割れています。迷いの中にいる新米ママさんにとって、何が正しいのか益々混迷の渦に巻き込まれてしまいそうですよね。
私も、第1子を出産した14年ほど前は迷える新米ママでした。
通っていた病院の影響で、まるで宗教のように完母にこだわるようになってしまったからです。
なかなか出ない自分のおっぱいを恨み、焦り、イライラが募り、育児を楽しむことできなくなっていました。
その6年後に第2子を出産、その間に授乳のことだけではなく、育児全般に関する体験をたくさん見聞きし、考えが変わってきました。2日に渡ってお話しさせていただきます。
何かあなたの育児のヒントになれば嬉しいです。
通っていた産婦人科にて洗脳
私が通っていた産婦人科は、母乳育児推進の病院でした。それもかなり強烈で、企業から派遣されているミルク指導の栄養士さんが隅っこで申し訳なさそうにしているくらいの感じ…。
当然出産前には母親学級が何回かあり、その都度、母乳の重要性が説明されました。
①赤ちゃんにとって、ベストな栄養が含まれている。
②赤ちゃんに免疫力がつく。
③母体にとっても、母乳を与えることで、産後のおろがどんどん排出され、回復が早くなる。
④母乳を与えることで、赤ちゃんへの愛情がより深まる。
確かにどれも納得できることばかりですし、どれも間違ったことではありません。ただ、ミルクが母乳に完全に劣るわけではないはずなのに、その説明はありませんでした。
少し偏り気味の説明を受け続け、気が付けば、私もすっかり母乳派になっていたのです。先生から許可が出ると、速攻おっぱいのマッサージを始めてましたしね。
これで準備OK!と気合満々でした。
なのに母乳が出ない!
ところが最後の母親学級で、説明されていた助産師さんから
出産前でも母体は授乳の準備を始めているので、マッサージしてると、ポタポタ出てくるママもいますよ~。
と言われ、全く出る気配のなかった私は焦り始めました。
この教室で親しくなったママは、ウンウンってうなづいてるのに…。
私、劣等生?
これが母乳との戦いの始まりでした。
娘との対面!募る不安
長く辛い陣痛に耐え、ようやく対面できた我が子。
きっと、出産すれば、母乳は出るはず!この淡い期待も見事に砕かれてしまいました…。
乳首が取れてしまうかも?と思うほど、授乳は痛いけど、我が子のためと日に何度もくわえさせてたのです。その度に、出ない母乳に泣かれ、次第にブンブン拳で叩かれ始めました。
確か産まれたての赤ちゃんは、3日分のお弁当を持ってくるなんて聞いたけど…、すぐに食べ尽くしてしまった様子。生まれながら、食いしん坊ちゃんに見合う母乳など出りゃしません。
そりゃあ怒るよね。
看護師さんを何度も呼び、くわえさせ方をあれこれ指導してもらい、抱き方も色々試してみたけど、効果がみられませんでした。いつも最後は、
とにかく、吸わせることだから!
と完全スパルタ式でもありました。
出生後、3日ほどは体重が自然減するのは当たり前ですが、その後も娘の体重は減り続け、とうとう退院日を翌日に控え、先生に呼ばれてしまったのです。
このままでは、お子さんは退院できませんよ!
と言われ、私は泣きまくりました。
付き添ってくれていた実母と夫に諭され、ようやくミルクを与える決意をしたのです。
でも、内心は罪悪感(洗脳にかかっているママは毒でも飲ませているのかと思うくらいの気持ちになりますよね。もちろん、そんなことありませんよ!!!)と、劣等感(産後すぐでも、よくおっぱいが出るママが隣にいるのに…。)で胸が張り裂けそうでした。
たくさんミルク与えると益々母乳から遠ざかってしまうからという病院側からの勧めにより、ほんの少しずつ与えることになりました。
それでも、母乳よりはまとまって飲めることに、娘は喜んでくれてたようで。泣きわめく回数も減り、体重も増加に転じくれ、何とか母子そろって退院ができたのです。
帰宅してから更なる母乳との戦いが
ここからが、更なる戦いの始まりでした…。
日中は、とにかく泣けば、おっぱいを吸わせていました。病院から、授乳の度に時間を書き込む手帳をもらい、記録してたのですが、回数が多過ぎて書き切れないほどで…。
当然、乳首は痛いし、寝れないので私はふらふら。子供も満足に飲めないので、常にお腹が空いては泣くの繰り返しで、お互いに眠気との戦いだったと思います。
夜だけは、ミルクを少量あげていたので、数時間はまとまって寝てくれてたものの、早朝から再びぐずりが始まります…。
次第に疲れがピークになり、精神的にぼろぼらになっていったのです。
とにかく、夜が恐い…。
日が沈んでくると気持ちが不安定になり、目を閉じて心を落ち着かせようとしても、なぜか目が閉じれないのです。閉じると心が余計にざわつき、目を閉じてるのに砂嵐のような残像が見えてきて。
気付けば、まるで廃人のようになってテレビをボーッと観ていました。
それでも、意地で吸わし続けました。
明け方、太陽が上ってくると、何とか新しい朝を迎えられたことにホッとしていた自分を思い出します。
今思えば、こんな状態で私も娘もよくぞ生きてたと思いますよ。
3ヶ月ほどそんな生活がを耐え抜き、ようやく娘が満足するほどの母乳量が出るようになりました。
それを期に授乳回数も、いわゆる育児書に書いてある程度まで減らすことができたし、乳首も吸われることに慣れれて、痛みも感じなくなっていたんですが…。
ここまでやる必要はあったの?
と思いませんか?
確かに、自分のおっぱいを一心に吸っているときの娘の顔は、たまらないものがありました!
本当に、可愛くて可愛くて仕方なかったですよ。でも、その可愛さに気付けるまでに、何ヵ月かかったことか。
その間だって、たくさん可愛い姿を見せてくれてたはずです。なのに、母乳のことで朝から晩まで頭がいっぱいで、悔しいけど、記憶がないのです。
もしかしたら、早くに完母を追い求めるのを止めて、母乳とそれを補うために十分なミルクを与える混合にしていたら、体も休めて、もっと子供と心穏やかに過ごせていたかもしれませんよね。
何なら完ミだって全然問題ないのに、当時はそれに気付けなかったのです。
明日に続きます。
完母から完ミに切り替えたママのお話、そして、第2子の母乳育児を通して考えたことをお話しさせて下さいね。